ロゥレンの森は今や初夏の装いとなっていた。
木々の葉はその青さを深くし、泉ではオタマジャクシが小さな体を浮き上がらせぬように尾びれをせわしく動かして、泉の底に沈む大きな石に生えた藻をついばんでいた。
夜ともなれば鬱蒼たる樹林には月光も差さないのだが、ヴェイラリオスの緑に光る両眼には木の葉の細かな色合いや、オタマジャクシの一匹一匹が尻尾を動かす様をはっきりと見る事が出来た。
「ヴェイラリオス。女王が待っているのよ。」
淡い灰色の馬に跨って彼の前を進むヴェルーダが、苛立つ様子も無く、しかしはっきりと泉に見入っているヴェイラリオスに釘をさした。
“楽園の騎士”ヴェイラリオスは女王アリエルの侍女でもある“歌う者”ヴェルーダに連れられて古の樫の元に向かっていた。
ヴェイラリオスの率いる“楽園の騎士団”が戦場に赴く度にヴェルーダは彼に知恵とその魔力を貸してくれていた。普段はもとより戦場のさなかに有ってもヴェイラリオスは、彼女が苛立ったり怒ったりする所を見たことが無かった。
「先見の司というのはああいう物なのだろうか?」彼も最初の頃は怪訝に感じていたが今はそれを当然のことと感じるようになっていた。
「アリエルの用事は急を要するのか?」
ヴェイラリオスがヴェルーダに問うと、彼女はかすかに笑いながら「それは知らないわ。けれど女王に呼ばれていながら道草を食うアスライは貴方の他には居なくてよ。」と返す。
女王の御座所でも有る古の樫の下に着くと、既にアリエルは玉座に鎮座していた。
「ヴェイラリオスに御座りまする。」
ヴェイラリオスは馬から下り、膝まづいて自身の参上を告げた。
「蛙の子がさほどに珍しかったのかえ?」アリエルは柔らかい口調でヴェイラリオスに釘をさした。
ロゥレンの森と一体の存在となったアリエルは、ロゥレンの森の中、時にはロゥレンを遥かに離れた場所で起こる事物を居ながらにして知ることが出来るのだった。
「春が訪れる毎に生を受ける者を見て、季節の巡りを見ておりました。」
こうしたやり取りは彼が女王に謁見する時にはいまや恒例のようになっており、ヴェイラリオスはいつも通り言い訳をする様に言上した。
「もうしばしすると此処に人間が訪れる。そなたにはそこに同席して貰うぞよ。」
アリエルはそう言い渡すと、時を待たずしてユニコーンに導かれて馬に乗ったブレトニア貴族らしき一人の娘が現れた。
彼女が両足をそろえて乗る馬はアスライが乗る馬に比べれば鈍重に見えたが、この馬が戦場では完全装備の騎士を背負いながら普段と変らぬ速さで駆け抜けることをヴェイラリオスは知っていた。
何にせよブレトニアの人間が女王に謁見を許される事はこの千年紀の間でさえ稀なことだった。
その娘はゆっくりと馬から下りるとアリエルに深々と頭を下げた。
「ブレトニア国王ルーエンの娘、グィネヴィアと申します。お目通りがかないまして光栄に存じます。」
「面をお上げなされませ。」アリエルがそう促すとグィネヴィアと名乗った娘は顔を上げた。
ヴェイラリオスとヴェルーダは彼女が“魔力の風”を操る者である事に気がついた。
ブレトニア人が“ダムゼル”或いは“プロフェテス”と呼ぶウィザードの1人なのだろう。
確かに重い鎧に体を押し込んだ騎士等ならば、例え“獅子心王”ルーエン公の特使であってもアリエルが謁見の間まで導き入れる事はしなかっただろう。
「恐れながらアセル・ロゥレンの女王に申し上げたき議が有って参りました。」 アリエルが目でグィネヴィアに促すと彼女は続けた。
「極北より再び混沌の軍勢が迫ってきているとの知らせを国王ルーエンより預かって参りました。」 傍から聞いていたヴェイラリオスは首をかしげた。
(だから何だ?)という事である。
各地の穢された森から迫り来る獣人達と渡り合う事は珍しい事では無かったが、極北のレルム・オブ・ケイオスから南下する軍勢がアセル・ロゥレンにその手を伸ばすことは殆ど無い事だった。
先の“終焉の主”アーケィオンによる“渾沌の嵐”と呼ばれる一大南下作戦の折にも、ついにロゥレンの森がその標的になる事は無かった。
グィネヴィアはさらに続ける。
「つきましては討伐連合を作る為の助力をお願いしたいのでございます。」というのだ。
(やれやれ可愛そうに、人間にしては美しいこの娘は、アリエルの機嫌を損ねる為だけに遥々アセル・ロゥレンまでやってきたのか。)
胸のうちでヴェイラリオスは舌を出した。
女王の機嫌を損ねた他所者がたった一人で無事に返った試しは、いまだかつて無かった。
(さてはアリエルは俺にこの娘を狩れと言うのか?謁見を許し望みを与えておいて命を絶つのか?小娘とは言え魔力を操るのなら案外骨のある相手なのかも知れん。)
早くもヴェイラリオスはこの若く美しい娘を己の鋭い槍で仕留める為の胸算用をしていた。
そんな事を考えている内にグィネヴィアはアリエルへの奏上を終えていた。
アリエルはその若い娘に対して「それについては余も憂えておる。余は連合軍議の席に出向く事は出来ぬが、変りに相応しい者を差し向けるであろう。そうお伝えなされい。」と返した。
(安心して帰る娘を闇討ちにするのか?)等とヴェイラリオスが考えを巡らす内にグィネヴィアはアリエルに恭しく礼を述べるとユニコーンに導かれてその場を後にした。
それを見てヴェイラリオスは槍を持ち替えて馬に跨ろうとするところへヴェルーダが声をかけた。
「何処へ行くの?貴方の用はこれからなのよ。」
「しかしそれでは使いが逃げおおせてしまうじゃないか。」
ヴェイラリオスがそう返事をすると、アリエルが彼に声をかけた。
「ヴェイラリオスよ。そなたは今の娘の話を聞いていなかったのかえ?」
そう問われて彼は少し戸惑いながら「もちろん聞いておりましたよ。今後あのような戯言を申さぬ様にあの娘を血祭りに上げるので御座いましょう?」と返した。
するとアリエルはその眼に僅かながら苛立ちを現しながらこう言い渡した。
「楽園の騎士とも有ろう者が随分な早合点をしたものじゃ。」
ヴェイラリオスは当惑を隠せずに女王に問い直した。
「さすればどのように?」
「あの娘と余が話したとおり連合軍議に向かうのじゃ。そなたが”樹海の王君”オリオンを押し立ててのう。」と、こう言った。
「それは真で御座いますか?」
「そうじゃ。王が出向くとなればそなたに話すのが筋であろう?王の林に戻ってオリオンに伝えよ。今回の事、オリオンが出向かねば事は収まりますまい。」
「すると今度の事は、アセル・ロゥレンにも彼奴等の手が伸びると言う事でございますか?」
ヴェイラリオスはアリエルの言葉に問い返した。
「ヴェイラリオスよ、いささか質問が多いぞ。とにかくわらわの命じるとおりにするが良い。」
「こ、これは失礼仕りました。早速仰せの通りに致しまする。」
女王の言葉にヴェイラリオスは深く一礼し、大樹の下を後にした。
(やれやれ、勘繰り過ぎてご不興を買ったようだ。) 内心ヴェイラリオスはため息をついた。
遂に始まりました「四人の王」のイントロの第1回目です。
ヴェイラリオスとヴェルーダは私がいつも頼りにしている、樹海の戦士を統べる者です。
これから二人は”樹海の王君”オリオンの従者として”獅子心王”ルーエン公が開く諸王会議に向かうのですが…
木々の葉はその青さを深くし、泉ではオタマジャクシが小さな体を浮き上がらせぬように尾びれをせわしく動かして、泉の底に沈む大きな石に生えた藻をついばんでいた。
夜ともなれば鬱蒼たる樹林には月光も差さないのだが、ヴェイラリオスの緑に光る両眼には木の葉の細かな色合いや、オタマジャクシの一匹一匹が尻尾を動かす様をはっきりと見る事が出来た。
「ヴェイラリオス。女王が待っているのよ。」
淡い灰色の馬に跨って彼の前を進むヴェルーダが、苛立つ様子も無く、しかしはっきりと泉に見入っているヴェイラリオスに釘をさした。
“楽園の騎士”ヴェイラリオスは女王アリエルの侍女でもある“歌う者”ヴェルーダに連れられて古の樫の元に向かっていた。
ヴェイラリオスの率いる“楽園の騎士団”が戦場に赴く度にヴェルーダは彼に知恵とその魔力を貸してくれていた。普段はもとより戦場のさなかに有ってもヴェイラリオスは、彼女が苛立ったり怒ったりする所を見たことが無かった。
「先見の司というのはああいう物なのだろうか?」彼も最初の頃は怪訝に感じていたが今はそれを当然のことと感じるようになっていた。
「アリエルの用事は急を要するのか?」
ヴェイラリオスがヴェルーダに問うと、彼女はかすかに笑いながら「それは知らないわ。けれど女王に呼ばれていながら道草を食うアスライは貴方の他には居なくてよ。」と返す。
女王の御座所でも有る古の樫の下に着くと、既にアリエルは玉座に鎮座していた。
「ヴェイラリオスに御座りまする。」
ヴェイラリオスは馬から下り、膝まづいて自身の参上を告げた。
「蛙の子がさほどに珍しかったのかえ?」アリエルは柔らかい口調でヴェイラリオスに釘をさした。
ロゥレンの森と一体の存在となったアリエルは、ロゥレンの森の中、時にはロゥレンを遥かに離れた場所で起こる事物を居ながらにして知ることが出来るのだった。
「春が訪れる毎に生を受ける者を見て、季節の巡りを見ておりました。」
こうしたやり取りは彼が女王に謁見する時にはいまや恒例のようになっており、ヴェイラリオスはいつも通り言い訳をする様に言上した。
「もうしばしすると此処に人間が訪れる。そなたにはそこに同席して貰うぞよ。」
アリエルはそう言い渡すと、時を待たずしてユニコーンに導かれて馬に乗ったブレトニア貴族らしき一人の娘が現れた。
彼女が両足をそろえて乗る馬はアスライが乗る馬に比べれば鈍重に見えたが、この馬が戦場では完全装備の騎士を背負いながら普段と変らぬ速さで駆け抜けることをヴェイラリオスは知っていた。
何にせよブレトニアの人間が女王に謁見を許される事はこの千年紀の間でさえ稀なことだった。
その娘はゆっくりと馬から下りるとアリエルに深々と頭を下げた。
「ブレトニア国王ルーエンの娘、グィネヴィアと申します。お目通りがかないまして光栄に存じます。」
「面をお上げなされませ。」アリエルがそう促すとグィネヴィアと名乗った娘は顔を上げた。
ヴェイラリオスとヴェルーダは彼女が“魔力の風”を操る者である事に気がついた。
ブレトニア人が“ダムゼル”或いは“プロフェテス”と呼ぶウィザードの1人なのだろう。
確かに重い鎧に体を押し込んだ騎士等ならば、例え“獅子心王”ルーエン公の特使であってもアリエルが謁見の間まで導き入れる事はしなかっただろう。
「恐れながらアセル・ロゥレンの女王に申し上げたき議が有って参りました。」 アリエルが目でグィネヴィアに促すと彼女は続けた。
「極北より再び混沌の軍勢が迫ってきているとの知らせを国王ルーエンより預かって参りました。」 傍から聞いていたヴェイラリオスは首をかしげた。
(だから何だ?)という事である。
各地の穢された森から迫り来る獣人達と渡り合う事は珍しい事では無かったが、極北のレルム・オブ・ケイオスから南下する軍勢がアセル・ロゥレンにその手を伸ばすことは殆ど無い事だった。
先の“終焉の主”アーケィオンによる“渾沌の嵐”と呼ばれる一大南下作戦の折にも、ついにロゥレンの森がその標的になる事は無かった。
グィネヴィアはさらに続ける。
「つきましては討伐連合を作る為の助力をお願いしたいのでございます。」というのだ。
(やれやれ可愛そうに、人間にしては美しいこの娘は、アリエルの機嫌を損ねる為だけに遥々アセル・ロゥレンまでやってきたのか。)
胸のうちでヴェイラリオスは舌を出した。
女王の機嫌を損ねた他所者がたった一人で無事に返った試しは、いまだかつて無かった。
(さてはアリエルは俺にこの娘を狩れと言うのか?謁見を許し望みを与えておいて命を絶つのか?小娘とは言え魔力を操るのなら案外骨のある相手なのかも知れん。)
早くもヴェイラリオスはこの若く美しい娘を己の鋭い槍で仕留める為の胸算用をしていた。
そんな事を考えている内にグィネヴィアはアリエルへの奏上を終えていた。
アリエルはその若い娘に対して「それについては余も憂えておる。余は連合軍議の席に出向く事は出来ぬが、変りに相応しい者を差し向けるであろう。そうお伝えなされい。」と返した。
(安心して帰る娘を闇討ちにするのか?)等とヴェイラリオスが考えを巡らす内にグィネヴィアはアリエルに恭しく礼を述べるとユニコーンに導かれてその場を後にした。
それを見てヴェイラリオスは槍を持ち替えて馬に跨ろうとするところへヴェルーダが声をかけた。
「何処へ行くの?貴方の用はこれからなのよ。」
「しかしそれでは使いが逃げおおせてしまうじゃないか。」
ヴェイラリオスがそう返事をすると、アリエルが彼に声をかけた。
「ヴェイラリオスよ。そなたは今の娘の話を聞いていなかったのかえ?」
そう問われて彼は少し戸惑いながら「もちろん聞いておりましたよ。今後あのような戯言を申さぬ様にあの娘を血祭りに上げるので御座いましょう?」と返した。
するとアリエルはその眼に僅かながら苛立ちを現しながらこう言い渡した。
「楽園の騎士とも有ろう者が随分な早合点をしたものじゃ。」
ヴェイラリオスは当惑を隠せずに女王に問い直した。
「さすればどのように?」
「あの娘と余が話したとおり連合軍議に向かうのじゃ。そなたが”樹海の王君”オリオンを押し立ててのう。」と、こう言った。
「それは真で御座いますか?」
「そうじゃ。王が出向くとなればそなたに話すのが筋であろう?王の林に戻ってオリオンに伝えよ。今回の事、オリオンが出向かねば事は収まりますまい。」
「すると今度の事は、アセル・ロゥレンにも彼奴等の手が伸びると言う事でございますか?」
ヴェイラリオスはアリエルの言葉に問い返した。
「ヴェイラリオスよ、いささか質問が多いぞ。とにかくわらわの命じるとおりにするが良い。」
「こ、これは失礼仕りました。早速仰せの通りに致しまする。」
女王の言葉にヴェイラリオスは深く一礼し、大樹の下を後にした。
(やれやれ、勘繰り過ぎてご不興を買ったようだ。) 内心ヴェイラリオスはため息をついた。
遂に始まりました「四人の王」のイントロの第1回目です。
ヴェイラリオスとヴェルーダは私がいつも頼りにしている、樹海の戦士を統べる者です。
これから二人は”樹海の王君”オリオンの従者として”獅子心王”ルーエン公が開く諸王会議に向かうのですが…