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2011年5月24日火曜日

11.5.22ホビーセンター吉祥寺

一昨日の日曜日はホビーセンター(以後HC)吉祥寺で開催されたウォーハンマーファンタジーバトル(以後FB)の2500ptsのイベント「戦乱の呼び声」に参加してきました。
このところコアルール変更の余波と出目の悪さとで、まるで勝てなくなっていたFBですが、2500ptsならポイント高に苦しむウッドエルフでも、ある程度の編成が試せると思って参加した次第です。
店に着いてしばらく、集まったメンバーは、約束していたいずみやさん、あっきいさん、マサキさんと言った具合で、見事に練馬で会ってる人ばっかりで完全な「知り合いハンマー」状態です。
と言うわけで、知り合いの中からあっきいさんのダークエルフが相手をしてくれる事になりました。↓
シナリオは接近遭遇です。
今回は森が多く、かなり有利な条件です。
その上ダークエルフはシェイド、ウォリアー、ヒドラといった主要な戦力が予備戦力になり、序盤で敵が少ないうちに戦力の均衡を崩してしまいたい所です。
今回僕の編成は今まで数が足りずに押されて終わっていたドライアドを8体から14体まで増員、そして2007年池袋で天さんと戦って以来ベンチウォーマーになっていたエターナルガードを実に4年ぶりに編入しました。↓
今回はあの時持ってくるのを忘れていた”老将”エルヴァリオン(ウッドエルフ・ハイボーン)
まあ、結局「ゆるぎなし」で押されるだけで負けるので、こっちも使わざるを得ない感じでの編入です。
本当ならコストが高くて「ゆるぎなし」を発揮するだけの隊列を用意できないのですが、「近衛の誇り」(ハイボーンかノーブル合流で「鋼鉄の意志」)で、数で負けても持ちこたえると言う事です。
本当はもっと積極的な理由で使いたいユニットなので、少々不本意(結局他のアーミーと同じ事をするしかないと言う事)ですが、これをやらないと8版ではゲームにならないようです。
それからいつもどおりのワイルドライダー。↓
と言うわけで、序盤は予備戦力の関係で盤面右翼を一人歩きしていたアサシンにワイルドライダーに合流の”楽園の騎士”ヴェイラリオス(ワイルドライダー・ノーブル)から矢を射掛けて、1ダメージを入れますが、2撃目が当たらず、シェイドに合流して逃げ切られました。
一方左翼側ではひたひたと近づくコールドワン・ナイトに”導師”フェインザール(スペルウィーヴァー)が合流のグレィドガードが射撃をしたところ、かなりの戦果を得られました。↓
このコールドワン・ナイトを手前のドライアドが、奥の森から来るコールドワン・チャリオットを向こうのドライアドが相手をする予定でしたが、チャリオット側の戦闘はインパクトヒット、ワードセーブ、反撃のヒットロールが極端に傾いて、止められる予定がひとたまりも無く戦意喪失してしまい、手前方のドライアドが、チャリオットに側面突撃されて持ちこたえて敵方に向き直ると横からナイトが突撃するという有様になりましたが、今度はフェインザールの「ウィッサンの獣化術」で強化して、今度は両方を討ち取る事が出来ました。
その一方、エルヴァリオン率いるエターナルガードは射撃で一人になったワイルドライダーと同時に、ダークエルフが誇るモンスター、ヒドラに突撃します。
ワイルドライダーは「永遠の炎の軍旗」を持っていたので、ヒドラの再生能力を止める望みだったのですが、これが効かずに討ち取られてしまいギリギリで持ちこたえられてしまいます。↓
そしてこの後数ターンは、こちらの攻撃は全て再生され、こっちもエルヴァリオンが「詩い人の竪琴」で全員に5+ワードセーブを持たせていたにも拘らず、1/6も成功せず、0対6程のダメージ差で敗走はしない物のどんどん削られ、最後にはエルヴァリオンとアーミースタンダードを残して削り切られ、
これが決定打になって敗戦となりました。
途中細かな判断ミスが2つほどありましたが、結局は出目で負けた感じです。
強敵のあっきいさんが相手なので、負けるなら負けるでもっと納得した負け方がしたいものです。
どうもこの半年の連敗の原因は、ここぞの出目の悪さが5割くらいもって行っているように思えます。
ようやく新ルールに有る程度対応した編成が出来てきたので、もうちょっとまともな展開のゲームがしたいです。

2011年5月17日火曜日

アキレス 面出し、エッジ出し、各種武装

現在製作中のアキレスですが、現状をアップします。
先ずは定点写真↓
キットに入っているパーツは粗方組立が終わりました。
組立だけなら30分もかからないキットです。
簡単すぎて、「このままではプラモ作りが下手になってしまう…」と思ってしまうほどでした。
もっとも僕にとってはここからが勝負どころです。
前述の通り、豊富なギミックを持ちながら非常にビギナーフレンドリーなこのキットですが、それ故に簡略化したディテールもある為、このあたりを攻めて行きます。
先ずは全身の角を立てていく作業です。
90年代くらいから以降のバンダイのプラモデルには、各パーツの鋭角の縁に「バンダイエッジ」と呼ばれる一種の面取りが施されています。
これは、バンダイで製造されているプラモデルが、模型であると共に玩具として造られている為に、尖った縁を鈍化させて子供のケガを防止する為の措置です。
元来が子供向けの商品なので、これは仕方が無い所です。
このキットの場合は、爪先、肩アーマー先端などにバンダイエッジが現れています。
今回は単純に面取り部分ごと削り取って1つの平面になるようにしています。

それから外装の白い部分と青い部分の境目ですが、胸と両肩の装甲には取り付け補強リブのようなディテールが施されています。
機械らしさを演出するディテールですが、キットではパーツの一体化と組立の簡単さを優先する為に、ちょっと変な形で白い部分にめり込むような形になっています。
と言うわけでこのリブを削り落として接着し、パテで面一に整形した後で0.5㎜プラ板を貼り付けて削り込んでみました。↓
元に比べてカッチリした感じになったと思います。
それから肩アーマーはの白い部分はキットのままではパーツの合わせ目が残ったり、さっきのバンダイエッジが処理しきれないと感じたので、このパーツを捨てて代りに0.5㎜プラ板を貼り込みました。
後は装甲板の裏の肉抜き穴の処理が途中ですが、本体はこんな感じで行くつもりです。
そして装備品類です。
先ずはアキレスシールド↓
この大型のシールドは、重量軽減とヒケ防止の為に、縁の裏側が肉抜きされています。
「こういうデザインなんだ」といえばそうとも言えますが、重厚感が欲しかったのでエポキシパテで埋めました。
また、4箇所の円い穴には、市販のビス頭風のパーツを貼り付けました。
それからハンドルですが、その形状の所為で体に引き寄せて持たせると、楯の重量で抜け落ちてしまいます。
これを防止する為、ハンドルのエンドに内径3㎜のポリキャップをストッパーとして取り付けました。
ハンドルがちょうど3㎜径なのが幸いしました。

次はアキレスランス↓
名前はランスですが、明らかにスピアです。
組立は説明書どおりですが、これも安全基準で先端が丸いので、エッジに沿って細切りの0.5㎜プラ板を貼って削り込み、シャープにしています。
この2つの装備を使ってポージングすると↓
槍と楯のバランスが完全にギリシャ重装歩兵(ホプリタイ)ですね。
25体そろえて5×5で並べてみたくなります。(やる予定はありません)
キットのパーツではこんな所ですが、まだ続きが有ります。

実はこの間ハカイオーを購入した際に、キャンペーン中とかで貰った武器セットに入っていたオートマチックガン↓
このオートマチックガンは時々TVアニメの劇中でも使われる武器なので、プラ板か何かで自作しようかと思っていましたが、渡りに船でした。

それから最後に、ギリシャ歩兵だったら是非とも剣が欲しいと思ってプラ板積層削りだしで作ってみました。↓
アニメでも剣を使うシーンがあり、ありがたい事にギリシャ風デザインになっています。
ゲームのパイロット版ムービーでは、このアキレスはモロにギリシャ風のヘルメットになっています。
とはいえここではオリジナルのデザインにしています。
そしてこのソードを構えたポーズ↓
じつはアキレスを製作するに当たって、イメージソースになるかと思い、ウォルフガングペーターゼン監督による映画「トロイ」のDVDを観ましたが、これがドンピシャで、ブラッド・ピット演じるアキレスのシールドはLBXのシールドに非常によく似た意匠になっています。
どうもデザインのイメージはブラッド・ピットのアキレスのようですね。
劇中でとっていたポーズに似せてポージングしてみましたが、肘や手首の角度がもう少しと言った感じです。
工作は大体済みましたが、問題のマントが残っています。

2011年5月14日土曜日

11.5.8 「我が腕よ鉄槌と化せ」アビゲイル精塩工場(ホビーセンター中野)

ちょっと前になりましたが、5月8日の日曜日はホビーセンター中野(以降HC中野)にて、バトルキャンペーン「我が腕よ鉄槌と化せ」に参戦してきました。
会場に着いて、オーク&ゴブリンのペイントを進めるいずみやさんと雑談していると、ちらほらとプレイヤーが来場したので、早速対戦を申し込みました。
相手は新発売のグレイナイト戦団と僕のレイヴンガードとの2000ptsバトルで、ミッションは「目標を確保せよ」初期配置は「槍の穂先たれ」です。
グレイナイトのコデックスは入手していたのですが、複雑なスペシャルルールを覚えきれず、お相手に逐一聞きながらのゲームになりました。
ダイスロールの結果、マーカーは5箇所で僕が先攻になり、こちらは初期配置圏内に1箇所マーカー確保。↓
それからスカウトの「浸透戦術」でもう一つのマーカーも確保↓
この他にもう1箇所をスカウトで確保し、3対1の有利な状況でスタートになりました。
そしてキラーユニットになるシュライク+アサルトスカッドですが、いつもですと「奇襲」で出現すべく「予備戦力」にする所ですが、相手のルール説明を誤解してしまい、サイキック「異能交信」の出現判定の修正でこちらのユニットの妨害までされると思った為、やや無理目ながらグレイナイトターミネイター付近に「浸透戦術」配置をし、ゲーム開始とともに突撃する事になりました。↓
基本的に全員フォースウェポン装備のグレイナイトですから、射撃で撃ち減らさないと厳しいようで、出目のお陰でそれなりに損害を与えた物の、大損害を出してアサルトは半壊状態。
シュライクはキャラクターをピンポイントで狙撃できるヴィンディケア・アサシンに分離突撃し、これを倒した物の、その後サイボルト弾の集中攻撃で戦死してしまいました。
グレイナイトは複雑なスペシャルルールが多く、事前に説明を受けていても、しばらくは「ワカラン殺し」状態が続きそうな気がします。
そしてグレイナイトの目玉ユニット的なネメシス・ドレッド・ナイトがパーソナルテレポーター装備で2体も編入されていて、このままではマーカーを簡単に奪われてしまうと思い、ラスキャノン、マルチメルタ等の火力を集中しましたが、なぜかスペシャルセーブに次々に成功されて、やむなく時間稼ぎの為に先ほど半壊したアサルトを突撃させます。↓
やっぱり全滅しましたが、それまでに両手パワーフィストのサージェントのお陰で、幾らかのダメージを与え、後のターンの射撃で何とか撃破しました。
その後ランドスピーダーの中、遠距離攻撃でグレイナイトを少しづつ削っていきます。↓
この後ヴィンディケイターをドレッドナイトに叩き潰されたり、ライブラリアン合流のタクティカルスカッドがサイボルトの集中砲火で全滅したりで、最終的に6ターン終了時には1対1の同点に追いつかれて引き分けとなりました。
逃げ切り対追いかけの攻防で、最後まで勝敗の解らない面白いゲームでした。
ゲーム後はいずみやさんと喫茶店でFBについて議論しました。
いずみやさんの日記にも有るとおり、「今のウォーマシンルールにはカバーセーブが必要だ」という話もしましたが、大筋は、八大魔法大系のお陰で質の優位は比較的簡単に覆ってしまうようになったので、少数精鋭方アーミーの不利は中々覆せないという事で、大体みんな知っている事ですが、低ポイントの歩兵を一杯並べて欲しいというデザイナーの意向のようです。
ミニチュアを山ほど買うのはやぶさかじゃないのですが、そのためにゲームがつまらなくなるとは考えなかったのでしょうか?
まあ、FBではまだ試してない事も有るので、折を見てプレイするつもりです。

2011年5月8日日曜日

アキレス 各所関節、ディテール

  先日の日記にも書きましたが、現在PSPのゲーム、TVアニメのメディアミックス企画のダンボール戦機に登場する主人公山野バンが操るLBXアキレス(アキレスと聞くと、ギリシャ神話とともに傑作ロボットアクション映画「ロボジョックス」の主人公を思い出します)のプラモデルを製作しています。
結構作業が進んでしまったので、いきなりですが定点写真をアップします。↓
このLBXはゲーム(発売はまだ先何だそうですが…)でもアニメでも3DCGデータなので、ダンバインやイデオンのような決めの画稿が無いのですが、ゲームサイトのキャラクターとLBX紹介のページにある物がなかなか良いポーズなので、これを定点写真の基本ポーズにしていこうと思います。
キットを持っている方は判るかもしれませんが、既にこの時点で幾らか手を加えています。

先ずは頭部から↓
アキレスの大きな特徴はギリシャ重装歩兵風の外観ですが、頭部においては兜飾りを思わせる大きなトサカです。
各所にスリットが入っていたりして単純な飾りでは無いようです。
組立説明書の機体解説によると、このアキレスは熱排気に配慮された…という記述が有るので、このトサカ部分をラジエーターの役目を担うパーツと解釈し、トサカ側面のスリットを開口して裏側からエアコンの室外機のような細かいスリット状のスジ彫りを入れた0.5㎜プラ板を貼り付けてみました。
それから、顔の部分は説明書どおりに組み立てると後で塗装がし難いので(元々のキットの仕様ではあまり塗装が必要無い商品になっています)、顔のパーツを後から取り付けられるように加工しました。↓
現在頭部はこの3ブロックからなっています。
このキットは元々塗装をしなくても成型色とステッカーで殆ど色分けが出来る仕様の為、頭部を説明書どおりに組み立てると顔の塗装が難しくなるので、ヘルメット部分とマスクを別々に組立、塗装した後で接着出来るように加工しました(模型雑誌でよく「後ハメ加工」と呼ばれる方法です)。
マスクははめ込み用のボッチ類を切り取って、裏側は後で接着する為に平に削り込んでいます。
また、後ハメ加工に伴って、キットではヘルメットに隠れて見えなくなる部分もプラ板で追加しました。
そしてヘルメットの方は↓
マスクが首のボールジョイントを固定する役目を果たしていたので、その部分に代りに1㎜プラ板を接着し、マスクを完成後に下から差し込めるように削り込んでスペースを空けました。
これに伴って、マスクの項でも書きましたが、キットではマスクとヘルメットの重なりが表現されていないので、ヘルメット内側を削り込んでこれを再現しています。

そして次は腕。↓
ちょっと地味な写真ですが、右腕が加工後、左は加工前です。
解り難いかもしれませんが、肘の曲がり角が拡大されています。
加工内容はこんな感じ↓
 
見ての通りですが、前腕の肘部分に被せる青いパーツが可動範囲を狭めているので、この部分を 削り込むことで90度くらいまで肘を曲げられるようになっています。
また、上腕側もジョイントが干渉する部分を切り欠いて、曲がり角を確保しています。
この部分は後で仕上げが面倒になりそうです。

次は脚。↓
肘と同様に右側だけ加工してあります。
これも膝裏の干渉部分を切り欠いています。↓
この部分も肘と同様で、後から青いパーツが被ってくるので、これもきり書く必要が出てきそうです。
それから脚にはもう一つ手を加えてあって、↓
股関節のボールジョイント受けパーツにロール軸を追加してポージングの自由度を上げています。
実はこの加工で大腿部の内部スペースを使った為に、膝のジョイントが入るスペースを邪魔してしまい、結果的に膝ジョイントを少し切り詰めています。
接続が緩くなるとまずいと思いましたが、幸いがっちり固定してくれました。

それからこっちは、結構大工事になった腰です。↓
腰は元々横ロール出来る軸が入っていますが、もっと表情のあるポーズを付けたかったので、腹部のパーツを上下2つに切り離し、下側を削って可動スペースを作り、ABS製ボールジョイントを仕込みました。
そして下側はボール受け側パーツの周りをエポキシパテで補強してOKだとおもっていましたが、ここから股関節パーツに接続する軸が、中にボールジョイント軸を通した為に肉厚が薄くなって折れてしまい、新たに中心に2㎜真鍮棒を通して再補強する羽目になりました。
現状こんな感じです。

今度は足首関節の加工をするつもりです。

2011年5月5日木曜日

2011.4.30~5.2奈良旅行5.ふうりさん宅にお見舞い

 旅行の続きですが、薬師寺を後にしてから三重県にお住まいのふうりさんをお見舞いに訪ねました。
高速を含めて車で正味2時間くらい、甲賀のサービスエリアで昼食をすませつつ、13時過ぎにふうりさん宅を訪問しました。
実はふうりさんとは、ネット上のやりとりはあったもののお会いするのは初めてでした。
とはいえ、何だか初めてあったような気がせず、ゲームの事やプラモデルの事、それから仕事も非常に近い業界で、仕事の話なども含めて1時間以上話しこんでしまいました。
その後は東京に向かい、結局9時くらいに家に着きました。

それからお土産にダンボール戦機のLBXアキレスを製作して持って行きましたが、作っているうちに自分でも欲しくなって今自分用を作ってます。
こっちの製作記事もアップして行こうとおもってます。

2011.4.30~5.2奈良旅行4.薬師寺

ちょっと更新の時間が空きましたが、旅行記録の続きです。
明日香村から帰って翌日、当日はあさ8時前に宿を出て奈良市西ノ京町にある薬師寺に向かいました。
薬師寺の本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)、脇仏の日光菩薩(にっこうぼさつ)と月光菩薩(がっこうぼさつ)の薬師三尊で、明治期の美術行政に大きな役割を果たした岡倉天心が「薬師寺の薬師三尊像をまだ見てない人は幸せだ。始めて見た時の感動をこれから味わうことが出来るのだから」という言葉を残しており、僕もいつかは観に行こうと思っていたところでした。
 そんな訳で、すこしワクワクしつつ車を走らせると、1時間弱で薬師寺に到着しましたが、東大寺ほどではないにせよ非常に敷地が大きいお寺で、駐車場を探すのにちょっとてこずりました。
 幸い非常に立派な駐車場があり、そこから境内に歩いていくうちに休ヶ丘八幡宮という神社が建てられていました。
 説明書きによると、薬師寺に参拝する前にここにお参りするのが慣わしだそうです。
 という訳でここにお参りをしてから中を通り抜けると、狭い道路を渡って薬師寺の山門に到着しました。↓
 山門の向こうに見えるのは西塔で、この右側には↓
 東塔があります。
 山門をくぐるとこんな感じ。↓
 山門を入って左が西塔、
 そして中央に本尊を納める金堂↓
 そして右側に東塔↓
 といった具合です。
 西塔と金堂は最近修復を受けたようで、鮮やかな着彩がなされていますが、東塔は古い木肌が見えています。
 後でお坊さんに説明を受けた事には、この東塔は僅かに傾き始めていて6月ごろから8年ほどかけて修復作業が始まる予定になっているそうです。
 運良く東塔を見られるタイミングに当たったようです。
 そして中央の金堂には、前述の薬師三尊が祀られています。
 堂内は撮影禁止なので、お堂の外から三尊を撮影しました。
 本尊の薬師瑠璃光如来↓
 右脇の日光菩薩↓
 そして左脇の月光菩薩↓
 7~8世紀に作られた金銅仏で、柔らかな曲線で形作られていて仏像という信仰の対象であることと別に美術として非常に優れた作品です。
 存在を知ってから20年以上経っての対面ですが、期待を裏切らない素晴らしい仏像でした。
 金堂内ではお坊さんが仏像や薬師寺についての解説を行っており、それによるとこのお寺は宗教的な意味の他に、当時のエリートの教育を行う政治的な意味合いのつよい施設であり、その為政変や内乱が起こると攻撃対象にされる事が多く、何度も焼失して当時からのもので現存する物は、金銅仏であった為に燃え残った薬師三尊だけなのだそうです。
 また、現在の一般的なお寺と違い、奈良の古くからのお寺は檀家を持たない為に収入源が無く、古くから寄付や資金援助で運営されてきたそうです。
 この薬師寺については般若心経の写経を収め、保管する事で料金をとって復元、維持、運営の資金に当てているそうです。
 という訳で僕も協力する意味で一巻購入してきた次第です。


 長年おもっていた対面を果たして薬師寺を後にしました。

2011年5月3日火曜日

2011.4.30~5.2奈良旅行3.石舞台古墳

 法隆寺の駐車場を借りたおみやげ店でやや遅めの昼飯を済ませた後、今度は明日香村にある石舞台古墳に赴きました。
法隆寺から1時間くらい車を走らせ、途中峠道を抜け、↓
あ、車は停止して撮影しているので心配しないでください。
そして明日香村に到着しました。
明日香村はかつてこの国の中心であった事を感じさせないのどかな風景が広がっています。
その風景の中をしばらく走ると石舞台古墳に辿りつきました。
入場料を払って高い生垣で囲まれた場所に踏み入ると石舞台が見えました。↓
本来は上に盛土された古墳だったのですが、何らかの理由で上の土が失われて、棺を納める石室が外部に露出してこの特異な形の遺跡になったという事です。
葬られていたのは聖徳太子の協力者であり、また政敵でも会った朝鮮半島渡来とも伝えられる豪族、蘇我一族の当主である蘇我馬子(そがのうまこ)と言われていますが、記録も棺も残っていないので、真相は不明です。
遺跡はこの石舞台の周りに空掘りが巡らされており、階段を通ってこの石舞台に渡れるようになっています。↓
さっそく階段を渡ってこの石室部分を間近に見ます。↓
実は僕はここに来るまで知らなかったのですが、裏側に回ると下から石室内に入れるようになっていました。↓
そして石室内で撮った写真↓
石の間から外の光が漏れてきています。
最後に少し離れて石舞台古墳の全景を撮りました。↓
こうして見ると、この古墳がかつては四角形の盛土をされた方墳と呼ばれるタイプの古墳だった事が伺えます。
この明日香村には他にも古墳や遺跡が有るのですが、今回はこれで宿に戻りました。
機会が有ったらまた来たい場所になりました。

2011.4.30~5.2奈良旅行2.法隆寺

さて、奈良旅行ですが、東大寺を後にして次は斑鳩町にある法隆寺に向かいました。
法隆寺は聖徳太子が建てたことで有名なお寺ですが、日本最古の木造建築なのだそうです。
東大寺から車で1時間弱、奈良は京都と違って見所が県内に点在しているので、移動するのには車が便利なようです。
そして法隆寺の門前のおみやげ店に駐車して正面の南大門に向かいました。↓
東大寺の賑やかな雰囲気とはちょっと違います。
そして門をくぐりました。↓
中門の向こうに有名な五重塔が見えます。
そして中門の両脇には門を守る阿吽の金剛力士が納められています。
阿形↓
吽形↓
奈良時代の作ということで、日本で最も古い金剛力士像だそうです。
元々は塑像ですが、1000年以上の歴史の中で補修が繰り返されており、木造部分が多くてオリジナル部分はあまり残っていないそうです。
本来はこの中門をくぐって中に入るのですが、拝観券の券買所の関係でこの門をよけて脇から入場しました。
中の列柱はよく歴史の教科書でも紹介される中間部分が緩やかに膨らんだエンタシスと呼ばれるオリエント世界の影響を受けた意匠になっています。↓
写真は中門の中側になります。
他の柱もエンタシスなのですが、磨耗したりして肝心のふくらみの部分が痩せてしまっていたりします。
ふくらみがよく残っている柱は復元、補修しているのかもしれません。
そして柱の足元↓
柱の真下には当時からの束石が残っており、その周りをコンクリートのブロックで舗装してありました。
で、ようやく振り返って外からも見えた五重塔↓
この中には釈迦涅槃(ブッダが亡くなった時)時の釈迦と嘆き悲しむ弟子達の像がダイオラマの様な塑像で再現されていました。
ダイオラマみたいと書きましたが、これも国宝だそうです。
そしてその隣にある金堂↓
二階の柱には龍が巻きついた複雑な彫刻が施されています。
この中には本尊である釈迦三尊、教科書にも載っている飛鳥大仏が納められていました。
この像は、聖徳太子の病気平癒を願って作られたものということで、大変古いものになります。
今の仏像に比べると、顔が面長でアルカイックスマイルと呼ばれる微妙に微笑んだような表情が付けられています。
実はウルトラマンの口元はこのアルカイックスマイルをモチーフにして造型されたという話を聞いた事があります。
さすが日本を代表するヒーローですね。
また、衣服の流れ方も扁平で様式的な感じになっていて、時代を感じさせる意匠になっています。
残念ながら、この2つの建物の内部は撮影禁止になっていますので、写真は撮れませんでした。

そして大宝物殿には、百済観音などの貴重な仏像が展示されていましたが、これも撮影禁止です。
まあ、どれも有名な仏像ばかりなので、画像を探す事は出来ると思います。
そしてここから東に離れた所に、聖徳太子の屋敷跡に立てられたといわれる夢殿も見てきました。↓
八角形の非常に特徴的なデザインのお堂で、中には聖徳太子本人をモデルにしたという、久世観音像が収められていますが、これも撮影禁止です。
こんな感じで、小学校の頃からいつかは見たいと思っていた法隆寺を後にしました。