法隆寺の駐車場を借りたおみやげ店でやや遅めの昼飯を済ませた後、今度は明日香村にある石舞台古墳に赴きました。
法隆寺から1時間くらい車を走らせ、途中峠道を抜け、↓
あ、車は停止して撮影しているので心配しないでください。
そして明日香村に到着しました。
明日香村はかつてこの国の中心であった事を感じさせないのどかな風景が広がっています。
その風景の中をしばらく走ると石舞台古墳に辿りつきました。
入場料を払って高い生垣で囲まれた場所に踏み入ると石舞台が見えました。↓
本来は上に盛土された古墳だったのですが、何らかの理由で上の土が失われて、棺を納める石室が外部に露出してこの特異な形の遺跡になったという事です。
葬られていたのは聖徳太子の協力者であり、また政敵でも会った朝鮮半島渡来とも伝えられる豪族、蘇我一族の当主である蘇我馬子(そがのうまこ)と言われていますが、記録も棺も残っていないので、真相は不明です。
遺跡はこの石舞台の周りに空掘りが巡らされており、階段を通ってこの石舞台に渡れるようになっています。↓
さっそく階段を渡ってこの石室部分を間近に見ます。↓
実は僕はここに来るまで知らなかったのですが、裏側に回ると下から石室内に入れるようになっていました。↓
そして石室内で撮った写真↓
石の間から外の光が漏れてきています。
最後に少し離れて石舞台古墳の全景を撮りました。↓
こうして見ると、この古墳がかつては四角形の盛土をされた方墳と呼ばれるタイプの古墳だった事が伺えます。
この明日香村には他にも古墳や遺跡が有るのですが、今回はこれで宿に戻りました。
機会が有ったらまた来たい場所になりました。
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